本日の心理学・名言1316-4

@私は、生まれ落ちて間もなく小児麻痺を患い、
右足が不自由になりました。
周囲に苦労をかけたことを自分でもよく知っているだけに長じてからは、極めてさり気なく振る舞ったものの、心の底では、人と同じように行動できない自分が悔しくてならず、人の同情を受けては、喜ぶことより、我が身が情けなく腹立たしくてなりませんでした。
ところが、この世、人間は神様が「陽気ぐらし(注)」をさせてやりたいがために、ご守護下さる世界と聞かさせていただきます。その神様が、どうして私の右足を不自由に・・・。
こんな不自由な体で、何が陽気ぐらしかと、どうしようもない矛盾を感じ、不自由な右足を暗い気持ちで見つめて過ごしました。
ここまでは、全く「苦の世界」でした。
けれど、長い間苦しみ抜いた末、目に見える荷物は持てなくとも、目に見えない人様の苦労は背負わせて頂ける、これ以外に、散々苦労をかけてきた周囲の人々へのご恩報じ、さらには、生かして頂いている神様へのご恩報じの道はないと気づくようになりました。
依頼、暗い心で重苦しく引きずっていた右足も、実に軽やかに、西に東にと歩ませて頂けるようになりました。
自由かなう体であれば、到底、こんな心境になれなかったでしょう。神様の深い親心を感じ、毎日、不自由な右足を宝のように戴(いただ)いて通れるようになりました。
不自由を喜べる心になって初めて、極楽の世界が開けてきました。神様は「心澄みきれ極楽や」と仰せになっておられますが、誠にその通りであります。by話の台第五集
(注)陽気ぐらし:それぞれの個性を持った人間が、互いの良いところをのばし合い、足りないところを補いあって、たすけたり、たすけられたりしながら共に生き、何を見ても、いつ、どこで何が起こっても決して不足なく、陽気に明るく受け取ってゆく、心の姿勢で暮らすこと

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