本日の心理学・名言1298-2

@人間は、心遣いの自由を許されておりますから、いたずらに、我が身、我が家の幸せを願うあまり、
自分の利害、苦楽にとらわれて、他の人々との調和を忘れ、世界一列の和楽を望まれる神様の心と反対の心遣いをしやすいものです。このようにここを埃(ほこり)に例えられて教えてくださっています。
では、“ほこり”と表現されましたのは、
どのような思案からなのでしょうか。
それは何よりも、埃は掃除さえすれば綺麗に払うことが出来るということなのです。
掃いても拭いても、どのようにしても除くことが出来ない頑固なシミのようなものではなく、払えば取れるのが埃なのです。
それと同じように心の“ほこり”も、努力すれば払えて、美しくすることが出来ます。
すなわち、神様は、誰でも救われる可能性を持っており、長い年限がかかろうとも、やがて世界一列の人々が陽気に暮らせるようになるという理想が、この世で実現することを教えてくださっているのです。
また何にでも、いつでも積もるのが埃であります。しかも積もる時の様子は人間の目には見えないものです。
そして油断すると、いつしか白く積もってくるのが埃の性質ですが、ちょうど人間の心の“ほこり”も同じことで、“ほこり”のない人間は一人もいないのであり、しかも知らず知らずの間に積んでいることが多いのです。
そこで神様は、真理に照らして自分の心を反省し、いつも“ほこり”を払う努力をしておけば、心は澄んで、恵みを受け、陽気に暮らすことが出来ると教えられたのです。
その反省のよすがとして「八つのほこり(注)」とか、嘘、追従、陰口、勝手、無理等々の角目を示しておられるのです。by話の台第一集
(注)惜しい、欲しい、憎い、(我が身)可愛い、恨み、腹立ち、欲、高慢の八つのこと
トップページへ戻る