本日の心理学・名言2470-1

私たちは日常生活の中で、
つらいと思えることも、腹立たしいと思えることも、
不足に感じられることもあります。
その中で、
特に自分の力では「どうにもならない」と思えてくる時、
人はとかく心が焦り、不安の渦が巻いて、
果ては絶望や自暴自棄の心に落ち込んでしまいやすいものです。

それは、その裏側に「早く思うようになってほしい」
という思いが、我が身を苦しめているのです。

そこで、神様は「なんでも、たんのうして通りなさい」
と仰せられております。

また、神様は
「たんのうとは、単なるあきらめでもなければ、
また、辛抱でもない。
日々、いかなる事が起ころうとも、その中に神の親心を悟って、ますます心を引き締めつつ喜び勇むことである」
とも仰せられております。

わたしは、
この「いかなる事が起ころうとも、その中に神の親心を悟って」という点が大切だと思います。
たんのうの要点は、これだと思うです。
そして、たんのうは、
どうにも喜べない、どうにも心が治められないと
思えてくる中にこそ真に求められるものなのです。
ですから、広い世間を見れば、
まだまだ困っている気の毒な人がおり、
その人のことを思えば私は幸せだと、
自分の心を低く持たせて頂き、
成ってくる(起きてくる)理(道理の程度など)の中に
神の親心を悟り、心通りの御守護を信じるのならば、
必ずや、どんな中にあっても、
たんのうさせて頂くことが出来るのであります。
用語集
by話の台第三集