本日の心理学・名言2462-1

人の運命は、
それぞれの因縁のなすままに
色々と現れてくるものでありますが、
つらい経験を納得するには、「余程の心」が必要になります。

その心の一つは、
病気になったことが
神様のお慈悲と思えることが出来るということであります。
人の世は仕方なく嫌な苦しい体験をさせられても、
後年、結果として、
それがあったがために自分の成長を見ることができ、
喜べることがあるのであります。
従って、どんな中でも、神様が助けたい思いで、
お互いのいんねんにふさわしい姿をあらわして、
私たちの成長を促してくださるのだと
悟ることが大切であります。

もう一つの心は、
信じる(神様のご利益)ことの怖さを
味あわせて頂いているということであります。
生まれて十ヶ月の子供が、
神様に救けられたと実感できるはずはありません。
子供は成長する過程とともに
親の言うことを丸ごと信じているのに過ぎません。
さすれば、
人に神様のご利益を信じさせるということは
大変なことであります。
信じさせる人の責任は重大であります。
信じさせる人は、何が正しいか、又何が大切か、
しっかりと掴んでいなければなりません。
そして最も大切なことは、自分自身が本気で信じていなければ、真理として人には映りません。
どれだけ科学的な世界になろうと、
人が人を信じることの尊さと喜びは、
何ものにも替えられないものであります。
これを物に優先した人生のあり方として
胸に納めなければならないと悟る心であります。
*参照:用語集
by心の道