@私は、生まれ落ちて間もなく小児麻痺を患い、
右足が不自由になりました。
周囲に苦労をかけたことを自分でもよく知っているだけに
長じてからは、極めてさり気なく振る舞ったものの、
心の底では、人と同じように行動できない自分が悔しくてならず、
人の同情を受けては、喜ぶことより、
我が身が情けなく腹立たしくてなりませんでした。
ところが、この世、人間は神様が
「陽気ぐらし」をさせてやりたいがために、
ご守護下さる世界と聞かさせていただきます。
その神様が、どうして私の右足を不自由に・・・。
こんな不自由な体で、何が陽気ぐらしかと、
どうしようもない矛盾を感じ、
不自由な右足を暗い気持ちで見つめて過ごしました。
ここまでは、全く「苦の世界」でした。
けれど、長い間苦しみ抜いた末、
目に見える荷物は持てなくとも、
目に見えない人様の苦労は背負わせて頂ける、
これ以外に、散々苦労をかけてきた周囲の人々へのご恩報じ、
さらには、生かして頂いている神様への
ご恩報じの道はないと気づくようになりました。
依頼、暗い心で重苦しく引きずっていた右足も、
実に軽やかに、西に東にと歩ませて頂けるようになりました。
自由かなう体であれば、到底、こんな心境になれなかったでしょう。
神様の深い親心を感じ、毎日、
不自由な右足を宝のように戴(いただ)いて通れるようになりました。
不自由を喜べる心になって初めて、極楽の世界が開けてきました。
神様は「心澄みきれ極楽や」と仰せになっておられますが、
誠にその通りであります。
*用語集
by話の台第五集