本日の心理学・名言1393-3

@600以上の荒廃した農村を復興させた二宮金次郎。
その弟子の一人が、金次郎から受けた教えを書き残したのが『二宮翁夜話』です。

質素、倹約、我慢、忍耐といった犠牲の先にではなく、そうした幸福感の先にこそ、報いようとする実践が生まれ、世界が豊かになると彼は信じていたわけです。
金次郎というと、どうも「質素、倹約、我慢、忍耐……」のイメージを持たれやすいようです。
しかし、本人はここで主張しています。
「そんな忌々しいことをすべきでない」と。
彼はいつだって、それが生産的かどうかという点にこだわり、
より大きくより豊かに……を考えます。
ひとを抑圧し、我慢させる方向ではなく、
むしろ一貫して、たっぷり満たし、大いに押し出す方向をとるのです。
この金次郎のやり方を、
彼が敬愛してやまない大久保公は「報徳」と名づけてくださいました。
彼はこれを大いに気に入り、
以後、積極的に自らもそう表現します。
報徳
それは時に「忍耐をし、善きことをしていれば幸せになれる」といったイメージで捉えられ、「がんばれば報われる」と訳されます。
しかし、これは完全な誤訳です。
徳に「報いる」という語は、
どう考えても「報われる」とはならないからです。
がんばれば報われる……。
一見すれば正論のようですが、しかしこれは「見返り」の発想です。
我慢を強いられてがんばるほどに、
「報いて欲しい」と求める力もつよくなっていしまいます。
だからこそ、金次郎はむしろこれを嫌い、否定するのです。
現実を見れば、わたしたちは、すでにたくさんのものを持っています。
使える命が、体力が、時間が、知恵があります。
さらには、同時代を生きる同士たちの賢明な働きに支えられ、
先人先輩たちからの恩恵もあふれるほど受け、
日々の生活を営んでいます。
そんな風に、すでにたっぷり「徳を受ける」ことで
暮らしが成立していると、彼は捉えます。
そしてだからこそ、受けた徳に「報いよう」と考えるのです
それは「幸せだから頑張ろう」という呼びかけであり、
「恩返し」の発想です。
お腹いっぱいご飯を食べること、日常の幸せを再認識すること……。
質素、倹約、我慢、忍耐といった犠牲の先にではなく、
そうした幸福感の先にこそ、報いようとする実践が生まれ、世界が豊かになると彼は信じていたわけです。
by「偉人たちの一日一言」