本日の心理学・名言1311-4

@良いことにも悪いことにもご縁が出来ていくのは、みな、その人その人の心にその素因、つまり種となるものがあるからだとと申せます。

自分や自分の周囲の人々を苦しませたり悩ませたりする「いんねん」(注1)でしたら、早くその「いんねん」を切るべく努めていけばよいわけですが、それが、簡単なようで、なかなか難しいので、それには自分の努力だけでなく神様のお力を借りねば出来ないことなのです。
そうした悪い「いんねん」を切るには、現在の自分がどんなに不幸と思える環境のもとにあっても決して他をうらやまず、「たんのう」(注2)という誠の心で日々を歩ませて頂くこと、そして神様や人様に喜んで頂ける実行を日々積み重ねていくこと、そうしていく中に、過去の自分と現在の自分とが、およそ、ころっと変わったと思われるほどに自己改革をしていけば、だんだんと「いんねん」は切れてまいります。

悪いこと、不運なこととのご縁の多くは、自分自身が過去において知らず知らずのうちにまいてきた「ほこり」(注3)の心遣いの種の積み重ねで、その反省と「さんげ」(注4)・お詫びの実行とによって、不幸な事柄との縁切りができてまいります。良い事柄との縁結びも、悪い出来事の縁結びも、すべては決して偶然ではなく、それぞれの人の心の中にあるのです。by話の台第四集
(注1)いんねん:本来は仏教用語で、直接的原因(因)と間接的条件(縁)とによって、様々な結果(果)を生起することを意味しますが、ここでいう「いんねん」は仏教などの因果応報とは違い、その奥に「陽気ぐらし」(注1-2)へと導こうとされる神様の親心があることを意味しています。

(注1-2)陽気ぐらし:それぞれの個性を持った人間が互いに良いところをのばし合い、足りないところは補いあって、たすけたり、たすけられたりしながら共に生き、何を見ても、いつ、どこで、何が起こっても決して不足なく、陽気に明るく受け取ってゆく心の姿勢で暮らすことで、神様が一番喜ばれることであります。

(注2)たんのう:単なるあきらめでもなければ、また、辛抱でもなく、日々いかなる事が起ころうとも、その中に神様の親心を悟って、これで結構、ありがたいと前向きに受け止め、益々心を引き締めつつ喜び勇むこと。

(注3)ほこり:人間の心に宿す神様の思し召しにあわない心遣いである八つのほこり(おしい、ほしい、にくい、かわいい、うらみ、はらだち、よく、こうまん)、うそ、ついしょう、陰口、勝手、無理のことで、すぐにはいたり、拭いたりすれば無くなるという意味から使われています。これを放っておいてシミになったものを悪「いんねん」(注1)と呼びます。

(注4)さんげ:世間一般では「ざんげ」といいますが、ここではただ悪かったと「さんげ」するだけでなく、心遣いを「さんげ」するところに身上(病気)や事情(問題)に「たんのう」(注2)を感じ、必ず喜びの心が伴います。そして「さんげ」したことを改めるべく神様に喜んで頂く道を実行する心定めをすること。

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