本日の心理学・名言1261-3

@600以上の荒廃した農村を復興させた二宮金次郎。
その弟子の一人が、金次郎から受けた教えを書き残したのが『二宮翁夜話』です。
質素、倹約、我慢、忍耐といった犠牲の先にではなく、そうした幸福感の先にこそ、報いようとする実践が生まれ、世界が豊かになると彼は信じていたわけです。
金次郎というと、どうも「質素、倹約、我慢、忍耐……」のイメージを持たれやすいようです。
しかし、本人はここで主張しています。
「そんな忌々しいことをすべきでない」と。
彼はいつだって、それが生産的かどうかという点にこだわり、より大きくより豊かに……を考えます。
ひとを抑圧し、我慢させる方向ではなく、むしろ一貫して、たっぷり満たし、大いに押し出す方向をとるのです。
この金次郎のやり方を、彼が敬愛してやまない大久保公は「報徳」と名づけてくださいました。
彼はこれを大いに気に入り、以後、積極的に自らもそう表現します。
報徳。
それは時に「忍耐をし、善きことをしていれば幸せになれる」といったイメージで捉えられ、「がんばれば報われる」と訳されます。
しかし、これは完全な誤訳です。
徳に「報いる」という語は、どう考えても「報われる」とはならないからです。
がんばれば報われる……。
一見すれば正論のようですが、しかしこれは「見返り」の発想です。
我慢を強いられてがんばるほどに、「報いて欲しい」と求める力もつよくなっていしまいます。

トップページへ戻る