@「私とは合わない」という人は人に合わせるつもりがない人。
馬が合わないという言葉がある通り 、相性のよくない人はいるものです。
その要因には心理学でいうシャドウ(影)が影響していることが多々あります。
恥ずかしがりながらも、人前で頑張って話をしている人には、好感が持てるけれど、
人を押しのけるような人や、周囲の目を気にせず好き勝手にしゃべっている人には、
強い嫌悪感を抱くことになります。
これがシャドウです。
「その人を厚かましいと感じている人と厚かましいと感じらてれいる人」
こういう人同士が馬が合うわけがないように思えますね。
しかし、「馬には乗ってみよ」「人には添うてみよ」という言葉もあります。
これは、「馬の良し悪しは乗ってみないと分からないこと」
「人柄の良し悪しも付き合ってみなければ分からない」ということから、
何事も自分で直接経験してみなさいという意味です。
最初は合わないと思っても、付き合ってみると最初のイメージとは全く違って、
「なんだいい人じゃないか!」と思うことは数知れません(逆もありますね)
「厚かましいぐらい堂々と見えていた人が、実は大変なプレッシャーと戦っている」
と知ったら愛おしく思えるはずです。
人間は育った環境や持っている気質・性格など千差万別 です。
合わない面があるのがむしろ当たり前です。
けれども、同じお互いに譲り合ったり違いを認めあって円滑な社会生活が送れるのです。
意識している場合もあれば、無意識の場合もありますが、
人は、相手に合わせたり、合わせてもらう努力をしながら人と接しています。
「その作業を怠って人間関係がうまくいく」と思うのは大きな勘違、ただのうぬぼれです。
「よく知りもしない相手を私とは合わない人と決めつける」ということは、
「人に合わせる気なんてさらさらありません!」と言っているのと同じです。
自己中心的な独裁者か、ただの駄々っ子か、
どちらにせよ社会性が欠如していると言えるでしょう。
社会性に優れた人は、人の違いを合わないではなく面白いと捉えます。
「なぜ自分とは合うのか」~そこを楽しみ認め合おうとするわけです。
「拒絶せず、認め合い尊重し合う 」これが大人の社交術と言えるのではないでしょうか。
*シャドウ:個人において生きてこなかったもうひとつの側面であり、
意識にとって許容できない自分の暗黒面のこと。