本日の心理学・名言2214-5

@A:
神聖とは程遠い状況にもその神聖さを見出すこと。
それが人としての私たちの任務で、
そういう見方をするようになると魂を育むことが出来るでしょう。

美しい朝日や雪を被った山、
健康な子供の笑顔や
砂浜に打ち寄せる波に神の美技を見出すことは
私たちにもすぐできます。

ですが、ひどい状況・・・
苛酷(かこく)な人生の試練、家族の悲劇、思い病気・・・
の中でも神聖さを見出すことを学ぶことができるでしょう。

日常の物事に神聖さを見出したいと願いながら生きていると、
不思議なことが怒り始めます。
日常の中で、以前は見過ごしていた慈悲の心が
見つかるようになります。

すべてに神の指紋が押されていることを思い出すと、
それだけで特別な感じになります。

どこか意識の奥の方で、
すべてに神の指紋が押されていることを思い出すようにして、
すべてに「大いなる存在」を感じるように意識してみましょう。

それでも何一つ美しさが見出せないからといって、
指紋が押されていないわけではありません。
それが見えないのは、
不注意かこちらの視野が狭いせいかもしれません。

@B:
今度誰かをただす機会があったときには、
その誘惑と戦うことです。

「この人とどんな人間関係を気づきたいのか?」
と自問することです。

結局は、気分よくなれる平和な人間関係を築きたいと、
みんなが思っているのですから。
「自分の正しさ」を主張する誘惑を退けて
思いやりを選べば、
穏やかで平和な安城に満たされることに気づくでしょう。

この戦略を気弱な態度とごっちゃしないでもらいたいのです。
自分の正しさを主張するのなら、
代償がつきもの・・・引き換えはあなたの心の平和・・・
だということなのです。
穏やかで落ちつた人になるためには、
ほとんどの場合、
正しさより思いやりを優先させなければなりません。

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