本日の心理学・名言21266-1

A
私たちは誰でも過ちをし、

それに責任を取ることが出来る権利がある~
神ならぬ人間は完璧ではありえないので、
失敗はしてもいいのです。
そして、その失敗、その結果には責任を取ることができるのです~
これは「人間である権利」といわれています。
完璧でない人間の取れる責任も限られています。
だから人間として失敗したことには、義務として取る責任はありません。
もし、責任を取ることが義務とするならば、
完璧に責任を取れないような失敗は出来ないし、
従って失敗することはしないということになってしまいます。
失敗をしてはならないと思っていると、
失敗するような人間はダメ、たいしたことはないという評価になります。
失敗してはならないという前提で物事を進めると、
責任を取ることが義務となります。
成功の可能性が保証されていない、
義務としての責任が伴うことはしたくないのが当然です。
失敗はしてもいい、そしてその事に責任をとってもよい、
という人権があるから、
私たちは、逆に成功するまで試行錯誤が出来るのではないでしょうか。

B
私たちには、自己主張をしない権利もある~
アサーションするもしないも、
相互尊重の中の精神の下で自分の責任で選べばよいし、
その結果も引き受ければよいのです。
つまり、「アサーションしない」ことは、
非主張的な人が、主張できないことで落ち込んだり、
相手を恨んだりすることではありません。
自分が「しない」と決めたのですから、
それは相手の責任にはならないのです。
アサーションするもしないも、
相互尊重の中の精神の下で自分の責任で選べばよいし、
その結果も引き受ければよいのです。
注:アサーションとは、
「自他の尊重の権利を侵さない限り、自己表現をしてもよい」という意味です。
アサーティブはアサーションの形容詞形です。