本日の心理学・名言16714-5

「句読点」や「漢字」を多用する人としない人はどう違うのか。

日本人が文章を書くときは主に「漢字」と「かな」が混じった文章になります。
「かな」と「漢字」をどのように組み合わせるかは、書き手の趣味趣向とも言えますが、
性格や心理状態社会的成熟度によっても変わります。

日本語は「かな」を続けて書いてしまうと単語の独立性が失われ、
意味を取り違える可能性が高くなります。

漢字を使うことは漢字が持っている意味を一目で認識させる以外に、
単語に独立性を与えることにもなるわけです。

文章は 著述家が配慮を重ねることで、読みやすい進歩発展してきたと言ってもいいと思います。
しかし漢字かな交じり文にしても意味を取り違えやすいケースはあります。

「すごい勢いで太った男を罵倒した」 という 文章があったとしましょう。
「すごい勢いで、太った男を罵倒した」と「すごい勢いで太った男を、罵倒した」では、
全く意味が違いますね。

「すごい勢い」が「太った男」にかかっているのか、
「罵倒した」にかかっているのかが 句読点がないと明瞭にならないからです。

例えば「今時の人」では 、「今時、の人」か「今、時の人」がわからないですね。
そこで、「いま、時の人」や「いまどきの人」というように漢字を避けたり、
句読点を打つことで混乱を避けるのです。

また私が今頻繁にカギカッコ使って文章を書いているのも、
単語の独立性を競う出せ際立たせる手段の一つ。

有効に使えば句読点ばかりの文章を避けることができます。

前置きが長くなりましたがここからが本題です。

漢字を多用する人や句読点を多用する人とそうでない人とでは
どのような違いがあるか考えてみましょう

まず句読点が極端に少ない人の場合ですがこれは読んでいてとても息苦しいものですね

書いている本人はそう感じないんでしょうが 読む側の人間はとても読みにくい
つまり 読み手のニーズに応える気持ちより言いたいことを書くタイプであることが分かります

だからといって句読点がやたらに多ければ相手のことをよく考えているとは言えません
句読点、相手の思考のリズムが大きく影響しているからです

頻繁に句読点を入れるのは長い文章 を思考してから書くのではなく
考え考え書いている・・・」そんなリズムを感じます

相性で考えると、句読点や改行のペースが自分に近い人が付き合いやすい人です

「句読点が多いなあ 、逆に句読点が少なくて窮屈だなあ」と感じる人とは
ウマが合わない可能性が高いと言えるでしょう