@A:
人を裁くと同じことで自分も裁かれることになるのです~
人は自分には甘いものです。
正当なる批判というものは確かにあります。
ですが、同じたしなめるにしても、
批判という形をを取らなくても出来るのです。
忠告でもお願いでもいいのです。
人間には必ずいい面と悪い面の両方が備わっているものなのです。
その人間がしくじっても、とがめられないところまで信頼されると、
人間のいい心が素直に働いてきて、
ここに初めて尊い人間になれるのです
@B:
なぜ多重債務者は自己の置かれた状況から逃げ出そうとするのか。
人間は何か果実の得られないことには
冷淡な態度をとりやすいのです。
人に施すことだって、
経済的には支出であっても充実感や満足感
という果実が得られますが、
多重債務の返済はそれがない。
だから当事者の多くは返すことに懸命なのですが、
熱心であるとは言えないのです。
しかし、そんなことはないのです。
多重債務者になったということは、
考えようによっては実に得難い体験をする
機会を与えられたということなのです。
「負わされた恵み」というものがあります。
何かを負わされることで、
結果的に自分が大きな恵みを受けることになるということで、
実際に多重債務を経験することで、
人間として一回りも二回りも大きくなった人も実際にいるのです。
逃げなければ恵は得られるのです。