本日の心理学・名言1371-4

@「足なし禅師」と呼ばれた禅僧がいた。
小沢道雄師。大正9年生まれ。
幼年期、曹洞宗の専門道場で修行。20歳で召集を受け満州へ。
昭和20年、25歳で敗戦。シベリアに抑留され強制労働。
小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に侵された。
膝から切断しなければ助からない。
手術の後、すさまじい痛みは1か月余続いた。
崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、
福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に送られた。
母と弟が面会に来た。
「こんな体になって帰ってきました。
いっそのこと死のうと思いましたが、帰ってきました」と言うと、
母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、小さく言った。
「よう帰ってきたなあ」
母と弟が帰ったあと、小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。
懊悩の日は続いた。気持ちはどうしても死に傾く。

その果てに湧き上がってきた思いがあった。
比べるから苦しむのだ。比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止(や)めて、今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で今日生まれたのだ。
そうだ、本日たったいま誕生したのだ。
足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、痛いまんま、
足がないまんな、動けないまんま、生まれてきたのだから、
何も言うことなし。
本日ただいま誕生!
深い深い覚悟である。
一、微笑(ほほえみ)を絶やさない
 一、人の話を素直に聞こう
 一、親切にしよう
 一、絶対に怒らない
小沢師はこの4つを心に決め、58年間の生涯を貫いた。
命の炎を燃やして生き抜いた、足なし禅師の一生だった。

「主」という字の「ヽ」はロウソクの炎。「王」は台座のこと。
自分のいる環境を照らして生きる人のことを、主という。
命の炎を燃やして生きるとは、
自分が自分の人生の主人公となって生きることである。
by『小さな人生論3』(藤尾秀昭・著)

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