本日の心理学・名言1910-3

@私たちは日常生活の中で、つらいと思えることも、腹立たしいと思えることも、不足に感じられることもあります。
その中で、特に自分の力では「どうにもならない」と思えてくる時、人はとかく心が焦り、不安の渦が巻いて、果ては絶望や自暴自棄の心に落ち込んでしまいやすいものです。
それは、その裏側に「早く思うようになってほしい」という思いが、我が身を苦しめているのです。

そこで、神様は「なんでも、たんのうして通りなさい」と
仰せられております。
また、神様は「たんのうとは、単なるあきらめでもなければ、また、辛抱でもない。日々、いかなる事が起ころうとも、その中に神の親心を悟って、ますます心を引き締めつつ喜び勇むことである」とも
仰せられております。

わたしは、この「いかなる事が起ころうとも、その中に神の親心を悟って」という点が大切だと思います。たんのうの要点は、これだと思うです。

そして、たんのうは、どうにも喜べない、どうにも心が治められないと思えてくる中にこそ真に求められるものなのです。
ですから、広い世間を見れば、まだまだ困っている気の毒な人がおり、その人のことを思えば私は幸せだと、自分の心を低く持たせて頂き、成ってくる(起きてくる)理(理合~病気、問題など)の中に神の親心を悟り、心通りの御守護を信じるのならば、必ずや、どんな中にあっても、たんのうさせて頂くことが出来るのであります。
by話の台第三集

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