本日の心理学・名言1244

@人はもともと、人に評価されるような存在ではありません。
自分の評価を人に委ねようとすると、そこから苦しみが発生します。
この世で自分しか自分を評価できる人はいないのです。
同様に、どこまでが自分の心に忠実に行動したことなのかの線引きも、この世では自分にしかできません。これを人に委ねると、苦しみが生まれます。
それは人は、自分がした努力の10倍の賞賛を期待するものだからです。
物事を何でも、否定的な目で自己評価すると、必ず結論は「やっぱり自分には才能はなかった」となります。自分の才能を疑ってはいけません。好きこそものの上手なれ、なのです。好きだ、ということこそ才能がある証拠です。
自分の才能に疑問を持つのは、この世で自分の果たすべき役割に出会っていないからです。
好きこそものの上手なれ、で、好きなことを忘我の境地に達するまでとことんやり続けると、いつか、自分の「生き役」(自分のこの世で果たすべき役割)に出会えます。
その役目を果たすと、それが誇りとなります。
誇りを持って生きている人は、世間から自分へ向けられた評価など気にしません。
たくさんの悦びを得て、自己完結しているからです。
悦びを得ている、ということを根拠に自分で自分に評価しているからです。
人から褒められれば素直に悦びますが、酷評されても、そんな評価クソクラエと自信を持って無視できるのです。
自分の価値は自分で決める、これが誇り高き人間の世界なのです。
@人には二種類の人間がいます。
他者に悦びをもたらす人と他者に不快感をもたらす人です。
前者は、人に悦びをもたらす行動が六割を超えている人のことで、後者は人に不快感をもたらす行動が六割を超えている、ということです。
人に悦びをもたらす行動をしている人は、歳と共に喜び多き人生ととなります。
なぜなら、他者が自分に悦びをもたらしてくれるからです。それゆえ、ありがたいと感謝したり敬意を払うことの出来る人になります。
逆に、人に不快感ばかり与えている人は、周りから不快感を与えられる人生となります。それ故に、どんどん不愉快なことが多くなる人生になります。
だから、人は、うんと幸福か、うんと不幸かのいずれかになるのです。その中間はありません。そこそこの幸せというのはこの世に存在しないのです。もし、自分がそこそこ幸せだと思っている人がいたら、それは間違いなく不幸だということです。
不幸な人ほど、自分の不幸には気が付かないものです。幸福の何たるかを知らない人は、不幸の何たるかも知らないのです。だから、自分が不幸であることが分からないのです。
もちろん、自分が人に拒絶や否定のサインを出していることも気が付きません。
理不尽に人を責めている間は、人は幸せにはなれません。責めるというのは、人に対する拒絶と否定のサインです。ますます、人は嫌がって遠ざかります。愛情の深い人ほど、遠ざかります。こうして、人は、うんと不幸になるのです。不幸な人ほど、人をうらんでいる理由がここにあります。幸福な人ほど人に感謝できるのは、これと逆の理由ためです。
「ありがとう」と心から言える人は、強く優しい人です。トップページへ戻る

 

 

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