本日の心理学・名言19900-3

@究極の恋愛

「片思いでもいいの。ふたりぶん愛するから」

(映画「荒野を歩け」1962年米国)
って言葉があるけれど、

片思いこそ、実は究極の恋愛なのではないか・・・。

私は、子供ができて思ったことは、
「愛する方が愛される方よりも、実は幸せ、なんじゃないかってことです」

子供から愛されたいって、そんなに思わないんです。

「私の誕生日には、子供からプレゼントもらいたいたいな!ワクワク♪」

なんて思いませんし(笑)、

「とうちゃんなんて大嫌い」って言われても、私は子供を愛し続けるでしょう。

この子が本当に人生を楽しめるような子に育つように、心を尽くしたいだけ。

愛されようが、愛されまいが、私のやれることをめいっぱいやりたい。
そう思うんです。

恋愛の場合、漢字の「相思相愛」という文字を見てみると、

相手と思って相手を愛すると書いてあります。

「相思相愛」」なのに、「自分が愛される」という意味が、

漢字には含まれていないんですよね。

つまり、愛されなくたって、「相思相愛」になれるのではないか。

愛の究極は”一体感”にあると思います。

でも、愛されたい。

つまり、リターンを望むということは、まだ、一体感ではないんですよね。

相手に望むということは、分離しているということだから。

(もちろん恋愛は二人で関係を作るものだから望んでもいいんですけどね)

究極の愛があるとすれば、愛されようが愛されまいが、

相手のためになることで(←ここがポイント)、

自分ができることがあれば、それをやるだけ。

そう思えているとき、

それは、一体感と言えるのではないでしょうか・・・・・・・・・・・・・。

仮に相手に愛されていなくても。

リターンがあったら、うれしいけれど、なくともいいんです。

なぜなら、愛することの中にこそ、最高の幸福感がすでにあるのですから。

ただ、恋愛は親子関係と違って、「受け入れられないこと」が許されています。
恋愛は相手から逃げることができる。

相手が望まない場合、その時、そのポッカリと空いた大きな穴は、

しあわせにつながっているようには思えません。
その穴を見続ける限り、そこには暗闇しかなくて、

その穴をふさごうと、もがけばもがくほど大きく開いて、

自分が消えてしまいそうで、苦しい。

でも、言わせて下さい。

その暗闇を見た人だけが、恋愛の深遠知ることができるのです。
by 3
秒でハッピーになる名言セラピー