月別アーカイブ: 2014年5月

本日の名言1033

@過去の悪い生き方をやめることの方が、良いことをするよりもはるかに難しいのです。
なぜなら、良いことをしようと心がけるも重要ですが、悪いことを先にやめないと、せっかくの努力が実らないからです。特に、人間関係がそうです。傷のなめ合いとか、見下している旧友と縁を切らない限り、未来は開けてきません。不自然な生き方をやめないと、たとえいいことをしても効果は相殺されてしまうのです。
悪いことをやめないまま良いことをしても効果はほとんどありません。欠点の克服をするよりは、長所を伸ばした方が効果的ですが、しかし、悪いことをしながらの幸せはありません。逆に言えば、悪い事や不自然なことさえしなくなれば、自然に楽しい人生になるものです。楽しいことだけするようになります。人生、楽しくならないのは、楽しい事をしていないから、というよりも、悪い事をやめていないからです。
多くの人が「自分はこれだけの努力をしているのに幸福になれない」と不平を言いますが、不幸なままに成ってしまう最大の理由は、悪い事をやめていないからなのです。
人は、悪い事をやめれば自動的に幸福になるものです。
楽しい事だけして生きたら、必ずいい人生になります。トップページへ戻る

本日の名言1032

@人が何か新しいことをしようと思ったら、古い概念や過去のものを捨てる(否定する)力と勇気が必要です。過去を破壊しないと未来を創造できないのです。インドのシバ神など世界の多くの神々が「創造と破壊」をかねる神であるのはこのためです。
破壊がなければ創造はないのです。過去の友人全員をいったん捨て、ひとりきりとなり、つまり、誰とも付き合わない状態を半年~一年続けた後でないと、新しい心の友はできません。なぜなら、親友候補が現れても、過去の友人たちに邪魔されて親友になるべき人が誰であるのか分からなくなるからです。
恋人も同様です。いい恋人が欲しかったら、キープ君を捨てることです。
過去を破壊しながら同時に未来を創造するのはいいですが、未来を想像できたら過去を破壊するという順序では決して物事は上手く行きません。
まずは不自然なことはやめることです。良いことをする前に、まずは悪いことをやめないといけないのです。新しいことをしようと思ったら、まずは古いものを捨てることです。
過去を捨てる勇気がなければ、幸せになりたいなんて思わないことです。
苦しみが長引くだけで何一ついいことはありません。
努力が実らず、かえってひねくれる結果となるからです。
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本日の名言1031

@あなたは人から嫌われることや、人からの批判を恐れて、人にウケのいいことばかりしていませんか。自分にウケのいいことをしないと、人生を楽しむことは出来ません。
自分自身には媚びてもいいけれど、人に媚びるのはいけないのです。
人目を気にして、人にウケのいい生き方をしていると、だんだんむなしくなってくるものです。
期待したほど賞賛や悦びや感動を得られないからです。
ああ、いい人生だったなぁ、としみじみ思わしめるものとは、人からの賞賛ではなく、自分の悦びのためにやって得た「悦び」です。その悦びは、人に向かって自慢するものではなく、自分自身に向かって自慢するものです。
自分を褒めてやりたい、そんな自慢です。これが「誇り」というものです。
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本日の名言1030

@楽なこと=幸せなことではないのです。楽なことはいいことのはずなのに、むしろ、自分の個性や才能を最大限に発揮している時に人は幸せを感じるのです。
自分の個性や才能を発揮する姿とは、楽な状態とは違います。リラックスはしていても、悦びを得るために懸命になっている姿です。淡々としていても、情熱を込めてやっている状態です。人間、好きなことなら情熱を込めてやれますね。本当に好きなことなら、楽な方がいいなどとは言いませんよね。好きなことをして忘我の境地に達した時、一番その人らしくなるのです。個性を最大限に発揮すると個人を超えた状態となります。でも何故か、その時が最もその人らしいのです。
さて、楽なことを求めてしまうのは、特に人間関係において顕著です。たとえば、自分の醜さを認めるのはとても辛いことですが、この辛さに耐えられない人は、楽な人間関係ばかりを求めます。自分に真剣に意見する人や真実を言う人を避け、傷の舐め合いができる人や、自分が見下すことの出来る人を求めてしまうのです。楽だからです。
でも、悲しみを悲しみで穴埋めすると、ますます悲しみは大きくなります。楽なことばかり求めていると、幸福から遠ざかってしまうのです。忘我の境地で楽しめることを淡々と情熱を込めてやるほうが人生楽しくなるものです。トップページへ戻る

本日の名言1029

@人の欠点が鼻につく人とは、勇気がなくて自分の醜さやコンプレックスを直視出来ない人です。自分の醜さが許せないから、他人の醜さが許せないのです。
そのため、自分と同じ醜さを持っている人と見るとイライラするのです。
もし、自分と同じように、自分の醜さを直視出来ない人を見たときはもっとイライラします。
では、どうすれば解決するのでしょうか。
それは、勇気を持って己を直視続けることです。この作業を無限に繰り返すと、やがて自分の個性が見えてきます。素晴らしい個性です。
そればかりではありません。人のいいところを見つけたくなります。「あなたのいいところ、探したい」という気持ちになるのです。
自分自身の醜さと戦った人だけが、人のいいところ探しが出来るのです。
それが出来ない人は、人のいいところに嫉妬することしか出来ません。
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本日の名言1028

@人は励まされないと元気になりませんが、それが出来るのは、寂しくない人だけです。
なぜなら、励ましあいをするためには、自分が悦びを持っていることが必要だからです。
悦びを持っている人だけが、人と悦びを分かち合って悦びを倍増できるのです。
人と会った時、楽しい時、感動した話をしたいがために、人は人を求めるのです。
これが本来の人間関係の姿です。
逆に、寂しいから、その寂しさを寂しい人で紛らわそうとしてもダメです。寂しい人を寂しさを寂しい人で埋めることは出来ないのです。
人は自分の得た悦びを分かち合ってこそ、つまり、共感されてこそ人生を楽しめるのです。「悦びを分かち合う悦び」を知ってこそ、人間関係の何たるかが分かるのです。
でも、ここにジレンマがあります。人は励まされないと、楽しい事をする元気が出ません。でも楽しいことをしないと、分かち合う悦びが得られないので、共感されることも出来ないし、共感することも出来ません。堂々巡りです。トップページへ戻る

こういうときは、知恵が強力な武器です。こうした同道巡りの閉鎖回路を壊すのは、前向きの姿勢(意欲)と問題意識の高さと知恵だからです。

本日の名言1027

@ 『自分は現状を変えられると信じる!』~あなたにもすくなからず、人生・仕事・プライベート等で問題点を抱えていることでしょう!
まず、紙にその現状と問題点を書いてみましょう!
そしてその問題点をどうしたら解決できるか少しで良いので考えてみましょう!
そして、その問題点を変える・解決することができる!と信じましょう!
その問題点を変える・解決できる人は、上司でも友人でも夫(妻)でも周りの人でもなく、【自分】しかいないと思いましょう!(周りの人のせいにしても問題点は解決されません!)
信じられないようでしたら、何度でも、「自分は現状を変えることができる!」と唱えましょう!
現状をどのように解決し、現状を受け入れ、自分で何とかするしかないと思えれば、
あなたの問題点のいくつかは解決できるのではないでしょうか?
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本日の名言1026

@自分の居場所とは、人を愛した時に、人と自分との間に出来る空間のことです。
相手から愛された時に出来る空間のことではありません。
人の幸福を願い、人の不幸を悲しむことが出来る人は、世界中どこに行っても自分の居場所があります。なぜなら、自分の座ったところが、世界で一番居心地のいい場所となるからです。イライラや怒りは、愛の反対です。心に怒りのある人は、人を愛することは出来ません。
ちょっと想像してみてくさい。
いつも会社でイライラして人に八つ当たりしているような人が、家に帰った途端、豹変して妻や子を愛せるでしょうか。そんな気はしませんよね。人の幸福を願い人の不幸を悲しむ心、あるいは、知恵と勇気と感謝の心があれば世界のどこに行っても楽しく暮らしていけます。あなたは、日本でしか通用しないものを大事にし過ぎていませんか。
怒りと愛とは対立するものなのです。愛の反対が怒りなのです。
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本日の名言1025

@生きる意欲や元気は、励ましによってしか得られません。
励ましの基本は共感です。共感は、その人と一心同体になっていますので、相手の痛みは自分の痛みですし、逆に相手の悦びは自分の悦びとなります。自分とイコールになるのです。
ですから相手の幸せを願わざるを得ない状況になります。相手が痛い思いをしていると、自分も痛くなるからです。これが共感しているという状態です。だからこそ、100%純粋に相手の幸せを願えるのです。そしてそれが最高の励ましになるのです。
心のこもった励ましの言葉をもらったら、それを一生の宝として胸に抱いて生きることが出来ます。ホンモノの励ましの言葉は、愚痴や弱音を言いたくなった時、しっかり自分を支えてくれます。
人を好きになる行為とは、人に生きる希望や夢をもたらす、とっても素敵な行為なのです。互いの夢や希望を応援し合うことが励まし合いの姿なのです。それが人を好きになる、という姿でもあるのです。共感と励ましと好きになる行為は、イコールなのです。
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本日の名言1024

@これ以上惨めになりたくない。と思っている人は、プライドという鎧をつけて、自分が傷つくことから守ろうとします。ところが、プライドという鎧で自分の身を守ろうとすると、知らぬ間に自分の体から拒絶のサインが出てしまいます。
困ったことに、その拒絶のサインが、最も自分に愛を注いでくれている人を最も傷つけしまうのです。その為、心温かい人ほど、遠ざかってしまいます。
逆説的ですが、実は「人を愛する」ことで、自分の身を守れます。愛する時、人は無防備な状態になっていますが、しかし、相手の怒りよりも強い力で愛すれば、自分の身を守ることが出来るのです。
しかし、愛の少ない人にとっては、それは大変危険な行為に見えます。なぜなら、愛するという行為は、無防備な状態になるため、相手の攻撃をモロに受けてしまうからです。確かに、心を開いた量に比例してボロボロにされることは事実です。
でもここにジレンマがあります。心に愛のない人は人ほど心を開かないので、自分の愛を相手に伝えることが出来なくなりますし、また、相手からの愛をもらうことも出来なくなります。
心を開く為に愛が必要なのに、プライドという鎧で愛を拒絶しているので、愛が入らないのです。プライドの高い人は、このジレンマから抜け出せない人々なのです。
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本日の名言1023

@男女の恋というのは、互いの愛する能力を高めあう人間関係のことを言います。
ですから、いい恋をしたら、恋人に優しくなるのはもちろんのこと、恋人以外の人にも親切にしたくなります。人はされたことをする動物です。友情も同じです。
人は、愛をもらったら、無性に人を愛したくなる動物です。逆に人から虐待を受けたら、人に虐待をしたくなる動物です。もし、若いカップルが真の愛でもって、愛し合えば愛し合うほど、若いカップルから幸せの輪が広がっていくのです。
人間とは、人に親切にせずにはおれない動物です。本来のそうした心の働きを高めあうのが恋愛や友情というものです。
人に優しく出来てこその人間関係です。本物の愛とは、みんなを幸せにする力があるのです。
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本日の名言1022

@不幸な人ほど、幸福の何たるかを知らないので、たとえ幸福を手に入れることがあっても、価値を見出せずに手放してしまう、理由は三つほどあります。
A:目に見えるもの(ブランド、学歴、金、地位、名誉など)しか見えないからです。見えないもの(愛、勇気、優しさなど)を軽んじ、見えるものに執着します。しかし、その執着している自分の醜い姿は、見えないのです。自分の不幸の象徴的な姿が見えないので、自分が不幸な状態にあることを自覚することが出来ないのです。
B:不幸な生活をしていても、「人生とはこんなものだろう」と思い込んでいるためです。自分が悦び少ない人生を歩んでいると、人もそんなものだろう、と思い込んでいるのです。素晴らしい悦びと感動の世界がこの世にあるなんて、思いもしない人なのです。この悦びの世界を知らない、ということこそ不幸であることの核心でもあります。
C:自分の本当の気持ちに鈍感なので、空虚さは感じても問題意識が低いからです。心を満たす為に時間とエネルギーと金を使うのではなく、何か他のどうでもいいことに使ってしまうのです。何かをするということは、他の何かをしないということです。そういう間違った行為をしているから、幸せになる行動をしなくなるのです。
不幸の何たるかをしっている者だけが、この世で最も大切なことは何か、を知っている人です。そして、そういう人だけが、人に人生の何たるかを教えることが出来るのです。
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本日の名言1021

@人には二種類の人間がいます。他者に悦びをもたらす人と他者に不快感をもたらす人です。前者は、人に悦びをもたらす行動が六割を超えている人のことで、後者は人に不快感をもたらす行動が六割を超えている、ということです。
人に悦びをもたらす行動をしている人は、歳と共に喜び多き人生ととなります。なぜなら、他者が自分に悦びをもたらしてくれるからです。それゆえ、ありがたいと感謝したり敬意を払うことの出来る人になります。
逆に、人に不快感ばかり与えている人は、周りから不快感を与えられる人生となります。それ故に、どんどん不愉快なことが多くなる人生になります。
だから、ひとは、うんと幸福か、うんと不幸かのいずれかになるのです。その中間はありません。そこそこの幸せというのはこの世に存在しないのです。もし、自分がそこそこ幸せだと思っている人がいたら、それは間違いなく不幸だということです。不幸な人ほど、自分の不幸には気が付かないものです。幸福の何たるかを知らない人は、不幸の何たるかも知らないのです。だから、自分が不幸であることが分からないのです。もちろん、自分が人に拒絶や否定のサインを出していることも気が付きません。
理不尽に人を責めている間は、人は幸せにはなれません。責めるというのは、人に対する拒絶と否定のサインです。ますます、人は嫌がって遠ざかります。愛情の深い人ほど、遠ざかります。こうして、人は、うんと不幸になるのです。不幸な人ほど、人をうらんでいる理由がここにあります。幸福な人ほど人に感謝できるのは、これと逆の理由ためです。「ありがとう」と心から言える人は、強く優しい人です。トップページへ戻る

本日の名言1020

@人はもともと、人に評価されるような存在ではありません。自分の評価を人に委ねようとすると、そこから苦しみが発生します。この世で自分しか自分を評価できる人はいないのです。
同様に、どこまでが自分の心に忠実に行動したことなのかの線引きも、この世では自分にしかできません。これを人に委ねると、苦しみが生まれます。それは人は、自分がした努力の10倍の賞賛を期待するものだからです。
物事を何でも、否定的な目で自己評価すると、必ず結論は「やっぱり自分には才能はなかった」となります。自分の才能を疑ってはいけません。好きこそものの上手なれ、なのです。好きだ、ということこそ才能がある証拠です。自分の才能に疑問を持つのは、この世で自分の果たすべき役割に出会っていないからです。好きこそものの上手なれ、で、好きなことを忘我の境地に達するまでとことんやり続けると、いつか、自分の「生き役」(自分のこの世で果たすべき役割)に出会えます。その役目を果たすと、それが誇りとなります。
誇りを持って生きている人は、世間から自分へ向けられた評価など気にしません。たくさんの悦びを得て、自己完結しているからです。悦びを得ている、ということを根拠に自分で自分に評価しているからです。人から褒められれば素直に悦びますが、酷評されても、そんな評価クソクラエと自信を持って無視できるのです。自分の価値は自分で決める、これが誇り高き人間の世界なのです。トップページへ戻る

本日の名言1019

@辛いから、という理由で現実を直視することを避けてばかりいると、「何をしたいのか」という、人間にとって最も根本的なことが分からなくなってきます。その結果、「どうすべきか」という義務感でしか行動をしなくなります。
確かに、義務を果たしてさえいれば、人からの大きな批判をまぬがれることが出来ます。でも、義務を遂行することばかりをしていると、生きている実感がしなくなります。自分の存在すら幻のように見えてきます。
現実をしっかり見つめて、現実の中から悦びを得ている人は、幻想を追いかけたりはしません。しかし、幻想を現実だと思い込んでいる人は、現実の悦びが幻に見えてしまうのです。そのため、現実の中でしっかり生きている人は、一度幸せをつかんだら、離しませんが、幻想の中で生きている人は、幸せを手放してしまいます。ニセモノだと思って手放してしまうのです。そういう人間に限って、「ああ、幸せになりたい」と言うのです。不幸な人というのは、みずから幸福を手放している人のことなのです。
さて、現実で生きている人は、誰が現実で生きている人で誰が幻想で生きている人なのか、その区別はつきますが、幻想での中で生きている人には、その区別がつきません。むしろ、現実で生きている人の方がニセモノに見えます。そして、ニセモノの人をホンモノと勘違いして近づいてしまうのです。
幻想から現実に戻るためには、自分の感情(喜怒哀楽)を直視することです。傷つくことが怖くて自分の感情を見ることを避けると、知らぬ間に幻想の世界に堕ちてしまいます。
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本日の名言1018

@人生には「棚からぼた餅」はありません。
人間関係は偶然ではなく必然だからです。素敵な人と出会うに値する必然を自分自身が持っていないと出会いのチャンスは活かせません。現実世界で地道に努力したものにしか、出会いを活かす必然を作ることはできませんし、また、チャンスがチャンスに見えないのです。
もう少し詳しく解説しましょう。
現実の生活が辛くて悲しいことばかりだと、人はしばしば自分にウソをつきます。この現実はまぼろしだ、ウソだ、別のところに本当の自分の世界がある、などと自分にウソの説得をするのです。こうしてウソの世界(幻想の世界)を作っては、そこに逃げ込もうとするのです。現実から逃げようとするから、幻想の世界に一時的に緊急避難したつもりが,それを毎日やってしまうのです。幸せは現実を直視することから始まります。トップページへ戻る

本日の名言1017

@人は、ひとりで生きて行くよりも、二人で支えあった方がすっと生きやすい
「自分がどう*すべき*か」が分かっていても怖さはなくなりません。でも、「自分がどうしたいか」が分かったら怖さはなくなります。
思いっきり傷ついて自分の本当の心を知り、その時沸き起こってくる自分の感情に従った生き方をしていると、だんだん自分の心の様子が分かってきます。自分の気持ちをきちんと把握できると、怖くなくなるのです。逆に言えば、本当の自分の気持ちが分からないから人と接することが怖くなるのです。
ただ、思い切って傷ついてみるためには、自分を支えてくれる人が必要です。理解し、励ましてくれる人ですね。そういう人の指示がなければ大きく傷ついた自分を支えきれなくなります。だから人は人を求めるのです。人はひとりで生きていくよりも、二人で支えあった方が行きやすいのです。友達が欲しい、いい人と結婚したい、と望む理由もここにあります。人生の悩みは自分を支えてくれる人がいない、という悩みでもあるのです。トップページへ戻る

本日の名言1016

@子供の頃、辛い体験を多くした人は、これ以上傷つきたくなくて、辛い出来事が発生すると、すぐに忘れようとします。惨めな気持ちを感じたくないのです。そのため、自分の本当の気持ちと対面することを恐れるのです。そうやって、一瞬は傷つくことから回避できますが、しかし、しばらくするとじわじわと落ち込んできます。わけもなくイライラしたり、泪が出てきたりします。消去したはずの悲しみの記憶が泉のように不安や怒りを噴出し続けるからです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
まず、思い切って傷ついてみることです。大丈夫、心の傷はの大部分は子供の頃に出来た傷です。あなたはもう既に傷ついているのですから、それ以上傷つくことはありません。傷の再確認をするだけです。むしろ、傷を直視することを避けているから、何度も傷が痛むのです。
そこで、荒治療ですが、自分の傷をじっと見据えて、ボロボロになるまで傷ついてみることをお勧めします。それが自分の真実です。自分の本当の気持ちが分かると、相手の気持ちも分かってきます。相手の心の裏が見えてきます。敵を知り己を知ると、どうすべきか、ではなく、自分がどうしたいのか、という自分の意志が浮かび上がってくるのです。自分の真実、つまり、自分の本当の気持ちと向き合うと、これらのことがおのずから分かるのです。
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本日の名言1015

@人間関係で悩むメカニズムはこうです
人を愛する能力は100あるのに、今、自分が人を愛せている量が3とか5程度しかないと、その差額の97とか95を悩むのです。人は、自分の個性を発揮できないと悩む動物なのです。
愛したいけど愛せない悩み、素晴らしい悩みですね。まずは、そう言う悩みを持っている自分に誇りを持ちましょう。人を深く愛せる個性に生まれついたことを感謝しましょう。
なぜなら、そういう人は、多くの人が感じられないことを感じて悦びや感動を味わう能力があるからです。その能力ゆえに人一倍傷つくこともありますが、人一倍悦びや感動を味わうことも出来るのです。
悩み多き人というのは、人の10倍も100倍も悦びに満ちた人生になるか、逆に、人よりも10倍も100倍も苦しみと悲しみに満ちた人生となるか、のいずれかです。
人の悩みというのは、「もっと幸せになりたい」という天からのメッセージです。未来を信じて、自分を信じて、そして、人を信じて努力すれば、いつか必ず願った通りの人生になります。信じないで努力しても実りませんが、信じて努力すると必ず実ります。そういう意味では、この宇宙は、とても平等に出来ているのです。トップページへ戻る

本日の名言1014

@人は、個性を表現したり個性を発揮することに悦びを見出す生き物なのです。
その悦びが夢を作り出します。悦びはやる気のエネルギー源ですから、大きな悦びをもたらしたことを人はやり続けようとします。好きなことをやり続けた果てに人は「夢」を語るようになるのです。すると人は、自分の夢のために生きようとします。
その「夢」が「個人を超えた夢」であれば最高です。個人を超えた夢とは、自分自身の「生き役」に根ざした夢です。
人にはこの世で果たすべき役割があります。その「生き役」という役割を果たすことが、自分にとってのもっとも大きな大きな悦びとなるのです。心のもっとも深いところには、人類に共通する部分があるために、その夢を果たすことは人類にも幸福をもたらすのです。
私もうれしい、あなたもうれしい、という関係は人を幸せにする夢です。大人になっても自分の夢を語ることの出来る人は、何人いるでしょうか。人の夢を応援できる人は、自分の夢を持っている人です。トップページへ戻る

本日の名言1013

@普通の安全な生活をしている場合、人を生かしているのは希望です。
その場合、希望となるのは、人からの理解や励ましです。
理解と励ましが人の「生きよう」とする意欲を創り出すのです。
そして、その「何かをしよう」という意欲は希望を生み出します。
挫折しても、希望が自分を支えてくれます。
人は、希望と人からの励ましのエールによって生かされているのです。
人はもともと自己実現したい動物です。心の中にあるものを表現したいのです。
それが芸術です。愛を人に表現したのが恋愛や友情です。
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本日の名言1012

@人は、自分にとって最も大切だと思うものに時間とエネルギーとお金を使います。
それゆえ、その人の時間とエネルギーとお金の使い方を見れば、
その人の人生観が分かります。
愛を知っている者は、人を愛する為に時間とエネルギーとお金を使います。
でも、世間体が大事な人は、見栄を張るために使います。
金と名誉と学歴(技術)のためにお金と時間を使います。そういう人は「たとえ自分が不幸でも、人に幸福そうに見られたら、それでいい」と本気で思います。
自分の幸福よりも世間体を大事にするのです。
また、自分の子供の幸福よりも世間体を大事にするのです。
本末転倒ですね。だから子供が荒れるのです。
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本日の名言1011

@悦びを得ることに人生の価値を置く人は、愛することに意味を見出します。
人生の価値とは、いかに人を愛したか、ということになります。愛する為に生きようとします。
お金、学歴(技術)、名誉、社会的地位、愛・・・大切なものはたくさんありますよね。
生活の為にはお金や学歴(技術)が必要です。確かに肉体の命を守る為にはお金は必要ですが、しかし、お金は心の命を輝かせることは出来ません。心を輝かせるのは愛や信頼です。
あなたの場合、この中でどれが最も大きな悦びをもたらしてくれますか?悦びをもたらしてくれるものを持つこと(やること)があなたの人生の価値となるのです。
本気で人を愛したことのある人は、愛こそこの世で最も確かな存在であることを知っています。しかし、命がけで人を愛したことのない人は、目で見て手で触れるものだけが確かな存在ととして写ります。トップページへ戻る

本日の名言1010

@人に愛されるより愛する方が二割り増しで気持ちがいい
愛されることは気持ちのいいものです。親切にされることも気持ちのいいものです。チヤホヤされるものいい気分ですね。でも、人を愛することはもっと気持ちのいいがいいのです。
愛される気持ちを100としますと、愛する悦びは二割り増しの120くらいです。
人間の心というものは、そのように出来ています。人間って素敵ですね。
だって、人を愛さずにはおれないように出来ているんですから。
人は、たっぷりと愛されると、今度は無性に人を愛したくなる動物です。愛する方が二割も気持ちがいいのですから、積極的に愛したくなります。
人は人に優しくせずにはおれない動物なのです。プレゼントも、もらう方よりもプレゼントする方がうれしいのです。やさしさも同様に、する方がされるほう人よりもうれしいのです。
だから無償の愛がこの世に存在するのです。無償の愛をもらった人は、人に無償の愛を注ぎたくてたまらなくなります。人と人は、人に見返りのない愛を与えずにはおれない動物なのです。人を見たら優しくしたくなる動物、それが人間なのです。人はもともと人の幸福を願い、人の不幸を悲しむ動物なのです。
今は、人の不幸を願い、人の幸福をねたむ人であふれています。世の中から無償の愛が消えたからです。見返りを期待して行動する人が多くなったから、見返りを期待しない愛が減ったのです。親切はうれしいですが、見返りを期待されたものは重たくて受け止められなくなります。愛が重たい、というは見返りを期待されているからです。トップページへ戻る

本日の名言1009

@恋人と親友は、できるべき時が来たら,すぐできる
親友や恋人が欲しい、という気持ちは分かりますが、「ひとりでいるのが寂しいから」という理由で相手を探すと、寂しい人にしか出会えません。出会いは偶然でも、人と人は必然で結ばれているからです。
一緒にいて楽しい人を探すためには、まず自分が楽しくあることです。ひとりで楽しめることをするのです。楽しい事をしたらどんどん心の中に悦びが溜まってきます。人は、自分の心を表現せずにおれない動物ですから、その悦びを誰かに語りたくなります。悦びを分かち合いたくなるのです。自分の得たたくさんの悦びを、他ならぬあなたと分かち合いたい・・・そう思える人こそ、あなたの親友になるべき人です。
悦びを共感しあうことこそ親友となる必然なのです。もし、悦びを分かち合いたいその人が異性なら、恋人にすればいいのです。
ところが、世の人々は、寂しいから友達がほしい、寂しいから恋人が欲しい,という人であふれています。寂しさには寂しい人が共鳴して近寄ってきます。寂しさは寂しさを引き寄せるのです。それが必然というものです。
悦びはやる気のエネルギー源ですから生産的な人間関係となりますが、寂しさは何も生み出さない非生産的関係をつくります。何も生み出さない関係は、長続きしません。
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本日の名言1008

@1000人の友よりも、一人の親友
一緒にいる時間が長い友だちが親友ではありません。
秘密を打ち明けたから親友というのでもありません。
ウマが合う人が親友というわけでもありません。
親友とは、悦びを応援してくれる人のことをいうのです。
自分を理解し、そして励ましてくれる人です。
親友というのは、しょっちゅう会っている必要はありません。
せいぜい月に一度か二度会って話をする、それだけで充分です。
心の友とは、心の中にいる友なのです。心の友としっかり絆がつながっていれば、離れていても寂しくはありません。離れると寂しいのは、心の絆がないからです。
確かに共感してもらう時は、目の前にいる必要はありますが、だからといって、毎日会う必要はありません。逆に、毎日会わないと友達関係が壊れてしまうような関係は本物ではありません。毎日電話で話しをしないと友達でなくなってしまう関係は、友情とはいえないのです。
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本日の名言1007

@人間関係で重要なのは励まし合いの関係になっているかどうかです。あなたを真に励ますことの出来る人は、あなたを理解している人です。もちろん、心温かい人でなければ、あなたを励ますことは出来ません。そういう人が身近にいたら、もうそれだけで幸せということです。
でも、多くの人は、幸せの何たるかを知らないので、そういう人のありがたさが分からないのです。そのため自分が知らぬ間にそういう人を軽く扱ったり、遠ざけてしまうのです。自分の幸せをみすみす捨てているようなものですね。もののありがたさが分からない人というのは、そういうものです。
こんな人は、人に感謝したり、人に敬意を払うことは出来ません。どうでもいいことに感激したり、どうでもいい人に感謝してしまう人です。自分を理解し、励ましてくれる人に敬意を払うことが出来る人、それが大人です。無償の愛や無私の善意で自分に接してくれる人に感謝できない人は、いい人生を送ることが出来ません。
幸せとは、「今日はこんなことがあった」「辛かった」「頭に来た」「うれしかった」という話を出来る人がいる、ということです。自分の話に共感してもらうことが幸せなのです。
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本日の名言1006

@自己犠牲を強いられた人が、人生の途中で自分の悦びをあきらめてしまうと、人の悦びを応援することが出来なくなります。無意識に人の幸せを妨害するようになってしまいます。
人を思いやる心とは、人の悦びを応援したい、という意欲のことです。
人生を楽しんでいる人しか人を思いやることは出来ません。楽しく生きるためには、自分の心に正直に生きてみることです。そして、そう言う生き方で社会を乱さないかどうかチェックしてみましょう。騙されたと思って、一度は利己的な生き方を試してみることです。
もし、不都合だったら、また、元の生き方に戻せばいいだけの話です。汚点が出来て戻れなくなったとしたらどうしよう、などというのは言い訳です。勇気とはそういう時に使うのです。
しかし、もし、それで素敵な人生になったら、その利己的な生き方を続行すればいいいのです。まずは行動して判断してみることです。
中途半端に利己的な自分の快を追求すると、社会を乱すことになりますし、周りの人にも迷惑をかけてしまいます。しかし、命がけで自分の悦びを追求すると,人の幸せを願い、応援することが出来るようになります。トップページへ戻る

本日の名言1005

@人は、人から自分の幸せを応援してもらえなければ幸せになることは出来ません。
それゆえ、私たちはお互いの幸せを応援し合うことが必要なのです。
そうして幸せの輪が広がって行くのです。その為には、まず自分自身が楽しく人生を生きる必要があるのです。
えっ?自分の快のために行動したら、社会の秩序を乱すことにならないかって?
そういう疑問は最もです。
はい、確かに日本の社会では、二千年以上に渡って、自己犠牲や滅私奉公、根性、努力を美徳とする教育をしてきました。逆に、人生を楽しむことは悪徳であるかのような教育を受けてきました。個性を殺して協調を強いる教育もしてきました。今辛くても、きっと未来にいいことがあるから、とにかく受験勉強しろ、仕事もやれ、とまるでマゾヒストを作り上げるような教育をしてきました。
でも、この方式は、会社や国の経済的発展の為には有効でも、個人の満足度(幸福度)を低くするのです。おのれを生かしながら人を生かす道がこの世にあるのです。是非、それを実践して本当かどうか調べてください。トップページへ戻る

本日の名言1004

@人は、自分の快を追求した果てに他者に愛や夢や感動を与えることが出来る人になります。この世の中は上手く出来ていて、自己犠牲をする必要は全くありません。
思いっきり自分の悦びのために生きて大丈夫です。命がけで悦びを追求してみてください。
自分を生き生きさせることが、人を生き生きさせることに直結していることが分かるはずです。誰にも遠慮は要りません。思い切って自分の悦びを追求してみてください。
人生の主役はあなたなのですから。
「生きる」とは、自分の悦びを追求する、ということと同義です。
自分の悦びをとことん追及した人は、自分のいいところが見えてきます。
自分のいいところが見えてくると、人のいいところを探したくなります。
それが人の幸せを願うということです。人の幸せを願うということが愛なのです。
幸せな人しか人を愛せないのです。喜びと感動を得ている人だけが、人の幸せを応援することが出来るのです。トップページへ戻る

本日の名言1003

@「悦びは人を愛することから得られる」という真実を知っている者は、人を愛する為に知識どうしを横の線でつないでいきます。
知識同士のどうしのネットワークが「愛」という悦びを中心に形成されていくのです。
悦びのネットワークですね。
人の脳というのは、もともと、危険や不快を避け、悦びや感動を得られるように発達した器官です。人を悲しませたり、苦しめる為の知恵は形成されないように出来ているのです。
悪知恵というのは、所詮底が浅いのです。
人を愛する知恵こそ人生最高の宝です。
人類の宝でもあります。知恵は人の命を救う薬だからです。
今の世の中に最も欠けているのが知恵です。トップページへ戻る